きむらとしろうじんじんという陶芸家がいる。彼は全国各地にリヤカーに積んだ釜を持ち出して、「茶碗に絵付けをして、その場で焼き上げ、でき上がった世界にひとつだけの自分のお茶碗でお茶を飲みましょう」というイベントを続けている。これを題して「野点」という。筆者は実は仙台会場の実行委員でもあるのだが、去る10月9日に岩手県大槌町での野点にお邪魔して仙台野点特製グッズの出張販売に行ってきた。当然MiToで行ってきた。いつもとは少し調子が違うものになるが、ツーリングの記録としてエントリーしておく。
大槌の野点会場に10:00くらいに到着したかったので、朝6時に家を出発。自宅から会場までをGoogleMapで調べると、東北自動車道と釜石自動車道を併用した所要時間が約4時間と出る。これを登米までの三陸自動車道〜南三陸町〜R45を釜石経由で北上というプランでも、実は所要時間に大差は無い。距離にすると237kmと240km程度の差である。意外である。
これが筆者がとったコース。
A:東北自動車道大和IC
B:南三陸さんさん商店街
C:岩手県大槌 野点会場
前日の昼までは東北自動車道を使って最短時間で到着するプランを立てていた。しかしふたつの理由で南三陸町〜釜石というR45の海岸沿いをひたすら北上する経路を取ることにした。ひとつはタイヤ、マランゴーニMythosがすり減っているから。当日の予報は概ね雨であり、プレーニング現象など起こったら重大事故である。下道をちんたら行く方がより安全だと思ったのだ。
もうひとつの理由(こちらの方が大きい)は津波被災地の現状を見ておきたかったから。「野点」なんていう、究極のほのぼのイベントを震災被災地で実施する(昨年も大槌で開催している)意味というものを再度確認、あるいは噛みしめてみたいと思ったからだ。そもそも今回の岩手や仙台での野点は、開催地に「じんじんさんを呼びたい!」と考える主催者がいて初めて動き始める。彼が勝手に被災地に押しかけるのではない。昨年大槌からお声がかかった時、ご自身もずいぶん悩んだという。じんじんさんに限らず、あの震災以来表現者は皆悩んでいる。しかし呼んでくれるという。少なくとも大槌や釜石にはじんじんさんの野点を求める人がいるということだ。実はこの辺のことは筆者の中では未整理なまま2年半を過ごしてきた。今後整理が付くのかどうかも甚だ心もとない。ともあれ、筆者は筆者なりに岩手県南部沿岸の被災状況を改めて理解することで、「被災地なのにほのぼのしてしまうことの意味」を、より実感してみたかったのだ。
結果的に朝8時過ぎの気仙沼近辺が大変混雑していて、大槌の野点会場に到着したのは11時頃だった。もっともこれは仕方ない。通勤ラッシュの真っ只中である上にダンプカーや工事関係車両が多くなる。当然である。それらの車両は道々の左右に設けられたがれき集積所へ右左折しなければならず、どうしても滞る。
筆者的にはお馴染の南三陸さんさん商店街。
朝8時には開いているお店はありません
こういう集積所が道々点在する
大船渡、釜石は初めて訪れた。実に歴史を感じる、良い雰囲気の街だ。もっとも訪れたと言ってもクルマで通り過ぎただけなので、次はきちんと時間を取って立ち寄ってみたいと強く思った。また気仙沼以北の道路も、また味わい深い良い道である。女川〜気仙沼間のR45がとても美しいのと同じように、やはり宮城県北〜岩手県南の海岸は美しかった。
残念ながらただ美しいとばかり言ってもいられない。道中いまだに取り壊せていない津波によって廃虚となった建物をいくつも見た。筆者はこのブログで政治的な意見を書くつもりは無いのだが、今回の道行きで強く思ったのは震災からの復興は、まだほとんど何も成し遂げられていないということだ。確かに幹線道路はキレイになった。人の往来も戻りつつあるのかもしれない。しかし現地の様子をこの目で見ても、あるいは日常の生活で見聞きする復興関連の様々なニュースを見ても、「うん!復興、これなら現地の人や手伝う人もがんばれるかも!」と思えるような根本的な復興支援が行われているようには思えない。現地の人々が現地でがんばってみようと思えるような、実のある支援と言えば良いだろうか、そういう決定的なパラダイムシフトは起こっていないように思える。外部からの資金注入などだけではそれは難しいと思える。例えは不謹慎かもしれないが、交通事故で瀕死の重傷を負った患者に対して、擦り傷を消毒薬でぬぐった程度の事しかできていないのではないか。2年半経っても骨折も内臓破裂も放置されているように思える。
ガラにもなくそんなこと考えながら走ったのだが、野点そのものは大変ほのぼのとした良い現場だった。じんじんさんご自身の、自身の表現活動である「野点」に対する誠実さも相変わらずだったし、それを自分の住む土地で実施するべく奮闘された現地スタッフの方々もまた誠実で気持ちの良い人々ばかりだった。筆者も場の雰囲気の心地よさに、思いがけずまったりとリラックスしてしまっていた。この場にいられることがただただ嬉しかった。だが心のどこかでは、誰もが笑っているこの現場の雰囲気を不思議に思ってもいた。会場近辺にはおびただしい数の仮設住宅が立ち並んでおり、そこからの住人らも多数参加していたと聞く。あんなに辛い目に遭われ、不自由な暮らしを強いられている方々は、どうしてこの現場で笑っていられるのだろうか。
わらび打直地区での野点会場目の前の大パノラマ
よそ者の筆者からすれば、日常の中のほのぼのイベントという風に見えてしまう今回の野点。だがひとりひとりに気持ちを聞いてみなければ本当のことはわからない。誰にでも生きる上でのストレスはある。そのストレスと対峙するだけでなく、時には違うことで頭や心を満たさないと押しつぶされてしまう。それは筆者でも実感として理解できる。震災や津波被害という、人生における空前絶後のストレスと対峙している方々が楽しんでいる様を見ると、この野点が被災地に住む人々にとって良いものであることは実感できる。しかし同時に考えてしまうのは、先にも書いたような、ただただ金という消耗品を現場に「輸血」し続けるだけ(に見える)の「復興政策」のことである。いや、金はもちろん必要、大必要である。そして建物、道路と言った物理的な復興ももちろん必須ではある。そのことに従事している人々に異議を申し立てたいのではない。しかしその結果真新しくなってしまう住み慣れた土地の景観は、それ自体が新たなストレスになり得るのではないかとも思う。何十年もかけて培ってきた「土地の記憶と気質」が姿を変えてしまう喪失感の大きさは想像を絶する。景観の変化は、喪失感を可視化する効果も同時に持ってしまうのではないだろうか。
震災や津波の被害に遭われた方の心が傷んでいるように、現地の復興のために汗を流すべく(表現活動も含まれる)訪れる側の心にも痛みはあるはずだ。いや、逆に痛み無き復興は「蹂躙」でしかないようにすら思う。じんじんさんは痛みを自覚しつつ自身で責任を負える活動として野点を開いた。だから現地の人も心を開いた。そして傷みを乗り越える力になったはずだ。筆者はその瞬間をたくさん目撃したので嬉しく心地よくなり、リラックスできたのだと思う。
これらのことは帰宅してからゆっくりと考えをまとめたものである。現場ではとにかく帰路が心配であった。昼過ぎまでは何とか持っていた大槌の天気も、時間が経つに連れて本格的な雨催いになり、色々考えて16時頃に現地を失礼した。とにかく安全に帰りたいのは当然だが、この期に及んで「同じ道は走りたくない」という気持ちは強かった(笑)。また翌日以降はすごく忙しくなる都合上、早く帰宅できた方が良い。そこでタイヤが不安ではあったが釜石自動車道+東北自動車道コースを選択。R45を釜石まで戻りR283に右折する。釜石自動車道に乗るためにまずは仙人峠道路に乗る。ここまでのR283が大変に退屈な道路なのだが、仙人峠道路は一変して大パノラマの絶景自動車道である。もっとも日が暮れた上に雨だったのでほぼ真っ暗。次は晴れた日中に来ようと改めて誓った。
心配した「雨の高速道路+スリップサインがギンギンに出たマランゴーニMythos」という組み合わせでも大事無く走ることができた。もっとも制限速度厳守+第一車線延々キープではあったが。何と20:00に帰宅。眠気にも襲われず意義深いツーリングとなった。女川も気仙沼も大船渡も釜石も大槌もまた行きたい。ゆっくりと現場の空気を吸ってみたい。