クルマで行きます

クルマが好きなことにかけては人後に落ちない。
東北のABARTH PUNTO EVO乗りが綴る、クルマについてのあれこれ。
DS3・HIDヘッドライト不点灯を解決する
| CITROEN DS3 | 21:21 | comments(4) |
エントリーの順序が逆になったが、家人のシトロエン DS3のHIDヘッドライトが点灯しなくなった件、交換して解決した。

わぁっ!やっぱり点いてない!
しかし翌日まんまと点灯

正確に言うと点灯しなくなったんじゃなくて「点灯したりしなかったりする」のだが、この辺の原因を究明し始めると長期戦になりそうだ。幸いSマネージャーが程よい社外品を見つけてくださり、バラストとバーナーの両交換でめでたく解決となった。

バーナー及びバラスト交換技術料 3,150円
ショートパーツ 3,500円
消費税 333円
合計6,983円

ばんざーい

ちなみにこのHIDヘッドライト、バーナーにホコリなどが付着するとそのホコリにも反応して放電してしまい、結果短寿命化するケースが多いという。またPSA製品の一部はヘッドライト廻りのシールドが甘く、けっこうホコリが混入しやすいという要因も見過ごせない。意外と2年に1回くらいの割合で8,000円くらいでバーナーとバラストを交換する方が経済的だったりして…。

ちなみにDS3のヘッドライトハウスはゴムの蓋でシールドされており、素人目に見てホコリの混入は少なそうではある。今回の原因は不明。入庫時もしっかり点灯したバーナーは、予備バーナーとして活躍してもらうべく引き取ってきた。お世話様でした。
MiTo・右曲がりのダンディ
| MiToのメインテナンス | 23:25 | comments(5) |
思いがけずMiToが帰ってきた!DS3のフロントライトが点灯しないというトラブル解決のためにイデアルを訪れたらA工場長に呼び止められ、それからあれよあれよと言う間に「お持ち帰り」に。狐につままれているようである。

さて左に流れてしまう我がMiTo、直進するようになったのか。なった。しかしまだどうも完全では無い可能性もある。詳細を書いてみる。

今回のトラブルシューティングはとにかくタイヤなのか本体側なのか、原因の切り分けが難しかった。ステアリングに全く入力しない状態で走っているうちに徐々に左に流れてしまうという症状。このブログのコメント欄でもオフラインでもご意見をいただいたが、考えられる要因は大きく分けて「タイヤの異常」「アライメントの狂い」「電動パワーステアリングの異常」の3つだった。さらにはショックアブソーバーなどの足周りの異常も可能性としては…、なんて話も出ていた。今般MiToを預ける際、Sマネージャーの指示によりスタッドレスタイヤも同時に預けてきた。スタッドレスタイヤ装着時にはとにかく直進していたからだ。そして中間報告というひとつ前のエントリーにも書いたように

・スタッドレスタイヤを装着させたところやっぱり直進した
・スペーサーを外してマランゴーニ(ノーマルタイヤ)に戻したら左に流れる症状が発症した
・タイヤローテーションを無視してマランゴーニの左右を入れ替えたら今度は右に流れた

というところで本日筆者がイデアルを訪れた。A工場長が「本当に右に流れるか運転して確認してほしい」というので一も二もなくMiToに乗り込んだ。やっぱりいいなぁ、MiTo(笑)。ま、そんなことを言っている場合ではない。工場長同乗の上早速走り出してみた。お!本当に右に流れる!ということでこれはタイヤじゃないスか?工場長も恐らくそうじゃないか、とおっしゃる。

戻ってきて今度はタイヤを履き替える。親切な方からタイヤを譲っても良いというお申し出をいただいたのである。なんとそれがマランゴーニMythos(笑)。山の残りも筆者のものとほぼ同じで、渡りに船とはこのことである。履き替えたマランゴーニで再度出発。手を添えるだけの状態で直進できるか走ってみる。

お!今度は真っ直ぐ走る・・・か?ん?今、右に流れた??・・・ん?やっぱり右に・・・流れ・・・た?

「手放し」の状態で50mも進むと徐々に右に流れる症状を2回確認した。もっとも同じ条件で直進もする。イデアル周辺の道路、つまり仙台市若林区卸町だが、先般の大震災以来まだ道の整備ができておらず、轍に加えデコボコも多い。それでも少なくともタイヤ交換前に比べれば明らかに直進するようにはなった。右に流れたのは轍などにタイヤを取られた結果という見方もできなくは無い。うーむ、直進するの?しないの?すっきりしないのである。

しかし、だ。よくよく考えてみるとMiToを運転してきたこの3年間で、こんなに長い距離(50mとか)を手放しで走ったことなど無いのだ。距離よりも時間で考えた方がわかりやすいかも知れない。これまでに手放しで走った瞬間はあれど、いつも1〜数秒程度である。そのような短時間なら直進を実感できたかもしれないが、そんな50m近くもハンドルフリーの状態(念のために書くけど今日は全くの手放しじゃなくちゃんと手を添えてましたよ)で走った経験が無い以上、実は購入直後から本日程度に直進していなかった疑惑もあるのだ。

走りながら再度同乗してくださった工場長と議論したが、決定的な結論が出ない。仮にこのままさらに入院させたら次の一手はどうします?と聞いてみたところ、スタッドレスでの直進具合から考えるにアライメントの狂いが原因の可能性は低いと思う。とは言え厳密に原因切り分けのために別のタイヤとホイールを履かせて症状をみたいとおっしゃる。しかしそんなにすぐに代替4本セットは手配できない…とのこと。

ここで筆者が宣言した。「では本日MiToは乗って帰ります」。とりあえず現状でさらに右に流れる症状が出るようであれば再度相談することとした。

そんなこんなでMiToが帰ってきた。先ほど早速夜活に出かけてみたが、今夜は右に流れる症状は一度も出なかった。なんと直進するのである!<ヘンな驚き方 ほんの30分程のチェック走行だったが、実に気持ち良かった!うん、これだよ!まだまだ予断を許さないが、とりあえずめでたい!
MiTo・直進させる入院の中間報告
| MiToのメインテナンス | 20:43 | comments(5) |
ところでノーマルタイヤ装着後直進しなくなってしまったMiToが今どうなっているのかと言うと、電話でSマネージャーがざっと中間報告をしてくれた。

1.スタッドレスタイヤに戻してみたら直進した(!)
2.スペーサーを外してマランゴーニ(ノーマルタイヤ)に戻してみても左に流れる
3.そのマランゴーニをタイヤローテーション無視して左右入れ替えてみたら今度は右に流れる(!)

以上のことからMiToが直進しない(左に流れる)原因は、ハードウェアの異常説をあっさり覆し、タイヤ原因説が再び急浮上である。次の一手としてはマランゴーニを別のノーマルタイヤに履き替えてみて直進するかどうか試すという。

どうでも良い画像。
先日助手席を見たらキズが!!
DS3に続いてMiToもかよ!とあせったが
単なる鳥のフンだった…
トヨタラウム・そんな気配りはいりません
| 試乗レポート | 20:30 | comments(4) |
MiToの代車のラウムについて書こうと思うのだが、なかなか筆が進まない。平たく言えば乗っていないからなのだが(笑)、どうして乗りたくないのかと言えば、やはり「このクルマに乗り続けると不感症になっちまう」という恐れがあるからだ。それほどこの個体のゆるゆるさはすごい。ラウムと言うよりもトヨタ車全般に言える事としてマーケティングにがんじがらめという印象があるのだが、それを実感する事象があったのでこのエントリーではそれをご報告しようと思う。


上掲の画像はごく普通にラウムに乗り込み運転ポジションを合わせた状態である。太ももから膝裏まで、随分な距離が宙に浮いている。シートの張り出し・サポートがどうのこうの言う以前の問題で座面の長さが足りずお尻の座り具合が非常にふらふらする。これは恐らく「セカンドカー的に買われて、どうせ運転するのは奥さんばっかりだろう」とか「ファミリーユース前提だから奥さんも運転しやすいように」とか、間違った気配りがそこかしこに溢れた結果なのではあるまいか。ダッシュボードの質感が恐ろしく低品質なのも「価格を抑えて家計に優しく」という配慮なのだ、きっと。

こんな具合でも当家の老母は「壊れないのが一番。だって走るんでしょ?」と言う。
EDO M/T Sessions#5「復興商店街ツアー」その3
| EDO sessions | 21:01 | comments(6) |
親友3名で行っているM/T車だけのツーリングEat and Drink Organization(略してEDO)。5度目のM/T部会セッションは、宮城県内の東日本大震災の津波被災地で頑張っている復興商店街を巡るツアーとなった。リポートその3。

天気が怪しくなってきた。気仙沼から南三陸町を目指して南下する。アップダウンのある海沿いのワインディングをゆっくり走る。気仙沼を離れて最初に立ち寄ったのが大谷海岸。



ご覧のように線路はずたずたで2階建ての道の駅舎も廃虚である。

この画像は2010年11月EDO遠野セッションの時のもの



この道の駅大谷海岸でも仮設商店があるのだが、火曜日定休…。残念。


この段階でだいたい13時くらい。どんどん天気が怪しくなってきた。アップダウンのある海沿いのワインディングをゆっくり走る。少々道に迷ったが(なにしろ上掲のような景色が続くので、曲がるきっかけなどを見過ごすことがある)「南三陸さんさん復興商店街」に到着。購入したかまぼこが滅法旨かった。



そのかまぼこ屋さん「及善蒲鉾店」さんの店頭には、津波前の町の航空写真が引き伸ばしてかけられており、元々お店があった場所と現在のさんさん復興商店街の位置がマーキングされていた。その写真で見てみると、この商店街の場所はずいぶん内陸寄りにあるように見える。だが商店街目の前には多くの方が犠牲になった合同庁舎がズタズタに破壊された状態のまま残っているし、津波に呑まれるまで避難誘導放送をし続けた女性が犠牲になった防災庁舎も、真っ赤に錆びた骨組みだけになって残されている。南三陸町だったかどうかうろ覚えだが、あの大津波は30メートルを越える高さになった場所もあるという。目の前にある商店街の「穏やかな空気」と、そういう被災データとしての「数字」と、破壊された「建物の残骸」が頭の中でうまく一致しない。つまり「信じられない」の一言に尽きるのだ。


近所の女子中学生たちがアイスを食べながら遊んでいた。笑い声が聞こえるのである。「日常」という言葉がこれほど大きな意味を持つ場所・時間があるのか、と思った。「日常」がこれほど貴重に思える体験も無いだろう。テレビの映像だけでも情報は得られるが、こういう感想にはなかなか至れないと思う。筆者なりに訪れた意味はあった。同時にそれでも生きていく、元の生活を取り戻そう、新しい生活を得ようとする被災地の人々の営みを頼もしく思った。


「南三陸さんさん復興商店街」を後にして、今度は女川を目指す。南三陸町までのR45は高台だったりモロに沿岸部分ではない部分もあり、パッと見、津波被害は少なく見える。だが志津川町に近づくにつれ、R45は本当に沿岸部の海抜ゼロメートルみたいな地域を通り抜けることになる。従って車窓の外の風景はよりヘビーだ。


内陸側や高台はわからないが、普通に沿岸の国道45号線、県道398号線を通って見ることができる志津川町内は今現在何も無い。幹線道路だけは復旧されたが、ただただ廃虚と瓦礫の山があるばかりである。この日(5月22日)あの志津川病院の解体作業が始まっていた。

右手の白い建物が志津川病院


人通りは全く無いものの、昨秋訪れた時に比べると明らかに自動車の交通量は多い。瓦礫も人為的に集積されている。志津川の役場や名産品である「硯(すずり)」の博物館「石巻市雄勝硯伝統産業会館」や公民館などはまだ無残な姿のままだが、公民館の上に取り残された観光バスは地面に降ろされていた。友人が聞いたところによると、この地域では地震が起こったらとにかく避難することが徹底されていたので、津波で亡くなった方は比較的少なかったという。筆者などその話を聞けば「命があって良かった」などと思うが、「生き延びたところでどうすればいいのかわからない」などという被災者の声を、このような光景を目の当たりにして思い出すともはや二の句が継げない。

MiToの向こうに見えるのが雄勝硯伝承産業館

ようやくバスも降ろされた。昨秋は…

こんな状態だった

雨が降ってきていたので早々に走り出す。途中被災した小学校の14:46で停止した時計なども見つつ、女川町へ到着。



こちらでは女川高校の校庭にできた「きぼうのかね商店街」を訪れた。


リンク先の福興会議のサイトにあるように、小奇麗な木造店舗が並び、アイキャッチの類いもしっかりデザインされていて、同じ復興商店街でもここだけムードが違うなという感じ。また商店の他に郵便局や銀行もあるので、ここに来れば一通りの用事が済むようになっているのも良い。雨催いの夕方ということもあり閑散としてはいたが、おばあさんがお総菜を買いにきていたりして、ここにも日常があることが感じられる。筆者はここではお肉屋さんで串カツを食し、ウィンナーを購入。また「串焼きたろう」なるお店で牛串を食した。うまかった。メンバーのひとりはダイビングで女川を訪れるとよく寄るというラーメン屋さんも営業中。すでに時間も16時頃なのでがっつり食べることはあきらめたが、普通にフラッと寄っても楽しめる感じがある。


この後は直帰。利府で解散した。全行程319km、12時間の旅であった。楽しかったけど心に重いものが残ったツーリングでもあった。でも我々は3人で、あるいはひとりでもまた行くだろう。聞くのが辛い話もある。見るのが辛い景色もある。でもあの海沿いの道沿いに人々の生活がある限り、我々は行くだろう。

EDO M/T Sessions#5「復興商店街ツアー」その2
| EDO sessions | 23:16 | comments(5) |
親友3名で行っているM/T車だけのツーリングEat and Drink Organization(略してEDO)。5度目のM/T部会セッションは、宮城県内の東日本大震災の津波被災地で頑張っている復興商店街を巡るツアーとなった。リポートその2。

食事とデザートの後は南三陸町に移動するのだが、ひとりが思い立ち津波で打ち上げられた巨大な漁船を見に行くことになった。

隣に停めたMiToと比較していただきたい

花が供えられていた。合掌

このgoogle mapでもご確認いただきたいのだが、この一帯は住宅地であったはずだ。今は瓦礫も運び出され、軒を連ねていたはずの家々の土台、基礎部分だけが船の周囲に整然と並んでいる。この船は津波被害のアイコンになっているらしく、我々のようにクルマで乗りつけて見に来る人々が後から後から現れる。中には5〜6人の小団体のような一群までいた。

船の全景を撮影してみようと少し離れてみると、ある家の跡に花束が供えられていた。花をくるんだ紙に「待っています」とフェルトペンで書かれている。行方のわからない家族にあてたものだろう。考えてみれば見渡す限り続くこの土台だけになった家々1軒1軒に同じような事情があるはずだ。この住宅地を丸ごと流し去り、これだけ巨大な船をこんな大地の上に取り残す津波の威力を考えると、今回の大震災の被害の一端だけでもわが事として体感できたような気になる。

しかしもう一度船体近くに戻ってあたりを見回してみれば、「ここは特に津波の被害が大きかった地域である。写真撮影には配慮してもらいたい」という旨の立て看板があった。この船を背景に記念写真よろしく写真を撮って行く心無い人がいたのだろうか。もっとも我々だって現地の人、ここにかつて住まわれていた方々から見れば同類なのかもしれない。良く晴れた空と何も無い地面、そこに突如置き去りにされた船。段々自分が何者なのかわからなくなってくる。


もう一ヶ所、どうしてもEDOとして立ち寄らねばならない場所があった。「ゆう寿司」である。EDOメンバーが懇意にしているお店で、筆者も一度だけ食べたことがある。あれはもう食事という次元ではなく「体験」である。もてなしと言い寿司の味と言い、あの体験を超える寿司を味わったことが無い。立ち寄ると言ってもそこには何もない。付近の建物も同様だが、津波に押し流されてゆう寿司の建物は跡形も無い。玄関付近の基礎部分だけが往時を偲ばせる。


幸いご店主ら家族のみなさんは全員が無事だったとのことで、今は関西に避難して料理の仕事をなさっておられるという。インターネット上の掲示板やEDOメンバーのひとりが直接電話でやりとりしたところ、「寿司釜だけは持ち出せた。いつになるかわからないが気仙沼に帰ってまた寿司を握ります」という意味の言を聞いたという。もう感無量である。我々はいつまでもゆう寿司魚市場店の復活を待つ。


その3へ続く。
EDO M/T Sessions#5「復興商店街ツアー」その1
| EDO sessions | 23:01 | comments(2) |
親友3名で行っているM/T車だけのツーリングEat and Drink Organization(略してEDO)の5度目のM/T部会セッションを決行。行き先についてはずいぶん議論を重ねたが、複数の候補から今回選んだのは気仙沼から太平洋沿岸の被災地を南下してくるコース。もちろんそれぞれ個人でもこの周辺は出かけていたし、総走行予定距離300km少しというボリュームは正直EDO企画としてはコンパクトなものだ。しかし今回は重要なミッションがあった。それは各地にできた「復興商店街」で散財するというミッションである。

復興商店街とはどんなものかと言うと、簡単に言えば仮設店舗が集合した商店街である。だいたいはプレハブ建築で営業されており、立地も本来の場所とは違う。とにかく更地にできて便利の良いところに急ごしらえで作ったもので、同様に飲食店が集まった復興屋台村なども各地にある。とにかく「現地を訪れる」「現地で買い物をする」というのは、誰でも簡単にできる被災地支援としていろいろな人に心がけてもらいたいと願っている。本当は全く別の企画も検討していたのだが、ちょうど1年前に福島グルメツアーと銘打って散財ツアーを決行した我々としては、気仙沼方面が検討議題として挙がった以上、行ってお金を使ってくるべきだという思いが強くなってきたのである。気仙沼なら寿司も食えるしね。

決行当日の5月22日。我々は出発点となるコンビニの駐車場に集合し7時半頃に出発。EDOは有料道路を使わない=道々の風情も楽しむことを掟としており、当然のことながらR4を宮城県金成町まで北上。通勤時間のまっただ中をそれでも2時間程度で金成町付近に到達。ここから東に折れ県道48〜R284を進む。今回はiPhone用のクレイドルとビッグボタン対応のカメラアプリを使って走行中の画像も撮影してみた。

日産 マーチ12SR
AlfaRomeo MiTo1.4T Sport
スバル インプレッサ
というお馴染の3台

築館町薬師付近路上

栗駒山が近い

フロントガラスの写り込みはご容赦願いたい


雨も心配されたがこのあたりは天気も良く、陽が燦々と降り注ぐ田植えを終えたばかりの田園地帯を爆走!←体感上の話。実際は農作業の軽トラックや営業のトラックがたくさんいたので、図らずも安全運転。風景をたっぷり楽しむことができた。

気仙沼手前の新月パーキングで晴れているうちにとばかり早速記念撮影。


気仙沼市内に入ったのがだいたい10時半くらいであろうか。本当に「ここまで津波が押し寄せた」「ここからは無事だった」がはっきりわかる。まずは気仙沼港近くの「復興屋台村気仙沼横丁」を目指す。





昨秋このあたりを訪れた時はまだ海水があちこちにプールのように溜まっており、もちろん建物も悲惨な姿のまま手を付けられない様子で残っていたものだ。だがようやく片づけは進んできたようで、あちこちから重機のエンジン音と取り壊す音が聞こえる。「気仙沼横丁」は物産店と飲食店が半々くらいで、しかも火曜日定休の店舗もあるので、一見すると半分がお休みという感じであった。買い物をしたお店の店主によると、地震によってずいぶん地盤が沈下してしまったという。盛り土をして道路を整備するが、クルマに踏み固められるとまた沈むという繰り返しで、もう7〜80センチほど上げただろうか、という。いくら道路面をかさ上げしても地盤自体が沈下しているので、大潮の時などはこの横丁の店先まで海水が押し寄せるという。「潮が引くと店先に魚がいたりしてね」。聞けばすぐ近所にあるご自宅は3階建で津波で1〜2階がめちゃくちゃになったものの建物はあるから今は3階部分に住んでおられるという。「微妙だよね」。

例えば保険屋さんは今回の震災による家屋被害を半壊・全壊などと区別する。しかしこのご店主のようなケースはどう区別されたのだろう。3階建ての1,2階が使えなければ住まう人にしてみれば全壊だろう。でも暮らせる現状があれば半壊と認定されるのかもしれない。一定のルールが必要なのは十分理解しているつもりだが、こういうのも話を聞くと切ない。「2万人が死んだひとつの大地震ではなく、2万件の死亡事故が同時に起こったと考えなければダメだ」という意味のことをビートたけしが言ったというが、これは本当にそう思う。津波で家が壊れて…と言っても百人百様であることを考えねばならないだろう。

そういうことを考えていてもお腹は空くもので、もうひとつの商店街「気仙沼復興商店街南町紫市場」に移動する。



こちらは2階建てのプレハブが連なっており、お店の数もずっと多い。飲食店も服飾店もあって、ちょっとわくわくする(笑)。しかしお寿司屋さんを探す。ある意味本日のメインイベントなので(笑)。本当はお目当てのお店があったのだが、こちらもやはり火曜日定休だった(最後までこの火曜日定休は付きまとうことになる)。次善の策として「気仙沼あさひ鮨」に入店。あさひ鮨は仙台にも店舗があるのだが本店で食べるのも乙なもの。カウンターで爆食!プラスしてお向かいの菓子舗でお土産を購入がてらかしわ餅を食す。超満腹。午後の道々や運転のことを考えると満腹はあまりよろしくないのだが、すし屋のカウンターでセーブしながら食べるなんて行為は一生できまい。


「復興にぎり」1000円。
お決まりだけで解決するはずもなく
これを序章としてひたすら食いまくった

その2へ続く。
MiTo・直進せよ!で、とうとう入院
| MiToのメインテナンス | 22:49 | comments(4) |
直進しないMiToがとうとう入院した。原因究明と対処のためである。アライメントであるとか電動ステアリングであるとか、怪しい要素が多いのでじっくり見てもらうことにした。


さてそうなると問題は代車だ。今回はSマネージャーから「通常の代車になるかと思います」というメールをいただいていたので、ある程度覚悟はしていた。今回久しぶりの国産車である。

トヨタ ラウム
初度登録年月 平成11年4月
走行距離 約87,000km
排気量 1.49L
全長 4020mm
幅 1680mm
高さ 1570mm
車両重量 1100kg

いやぁ13年オチの喫煙車両は辛いわ〜(笑)。このラウム、走る・曲がる・止まるが正三角形のように見事にバランスしている。ただし超低次元で。まず走らない。だから制動性能もあまり求められないし、ハンドルの挙動が遊びたっぷりでもあまり問題ないのだろう。いや、問題ないと判断したのだろう。

まぁこのことについてクドクド書くのはやめよう。先ほどSマネージャーから電話がありMiToの退院がいつになるかはまったくわからないと宣告された。冒頭に書いたように原因になり得る要素が多いので仕方ないとは言え、これからの日々、ラウムで生活するのは随分大変そうだ。

しかしそれにしても、わざわざ「通常の代車」とSマネージャーからのメールに書かれるということは、やはり普段お借りしている「面白い代車」は特別な配慮ということであろう。感謝である。ラウムの印象については今後じっくりリポートしたい。なんか思ったよりも長く乗れそうなので(泣)。

春の山々と山形・梅蕎麦
| その他のツーリング・夜活など | 22:06 | comments(10) |
晴れた休日に家にいると何か損をしているような気がする。朝方金環日食で家族で盛り上がった(子どもたちが学校に行った)後は、ツーリングに出かけねば!ということで、シトロエン DS3で出かけてきた。行き先は何となく宮城県北部にある有名な温泉地鳴子温泉からR47を使って山形県新庄市へ。家人も同行したので画像が多いのである。

R457を北上。まずは花山の名物道の駅
「あ・ら・伊達な道の駅」前を通過

鳴子温泉手前の渋い温泉・川渡(かわたび)温泉も通過

R47を爆走!鳴子温泉を経由して山形県内へ。
残雪ある山々と青空のコントラストが最高

そのままR13に乗り山形市内を目指す。


山形市内まで約1時間。軽く昼ご飯を食べたかったのでお蕎麦にする。となるととりあえず梅蕎麦。

梅蕎麦・小体な店構えだが味は小宇宙

筆者はシンプルにもりせいろ700円

家人のオーダー二食せいろ天ぷら付き1900円。
茶きりの下段にちゃんとお蕎麦があります

山形県内の道はどういうわけか仙台市近郊と比較してペースがゆったりしている。また東日本大震災や余震やあれこれで修繕しても修繕してもガタガタしている太平洋側の道路と違って状態も良い。増してやDS3、MiToでは望むべくも無いイージーライドっぷり(泣)。非常に心地よいツーリングを楽しめた。

おそらく日本で5本の指に入るたいやき屋・わかば。
山形市緑町

最後に立ち寄ったたいやき屋わかばにはメニューが無い。たいやき、それもアンコのみ。だからお店の人に伝えるのは「●個ください」だけで良いのだ(笑)。しっぽまでアンコが詰まってるなんて段ではなく、むしろアンコがはみ出している気っ風の良さ(笑)。そもそも皮自体がおいしいのでアンコのつまり具合にムラがあってもまったく気にならない。ここんちの息子さん(当時大学生)と偶然仕事をご一緒したことがあって、身内の方に直接賛辞を贈れて良かった良かった、なんて思い出もあり。

帰宅して15時。理想的ではないか。

※おまけ:R286沿いの気になる店、丼物屋「よ〜い丼」。

ぜひ拡大してメニューを見て欲しい。
必ず食べてやる!!
DS3・デントは無理?
| CITROEN DS3 | 21:29 | comments(4) |
以前当て逃げ(擦り逃げ)に遭遇して右ドアに傷を負ったわが家のシトロエン DS3。信頼する方に見てもらったところ「塗装にはがれは無いので即サビにつながる傷ではない」と診断された。ここで任意保険を使って修理をすれば、当然保険料へ影響も出る。ただし最終的にはディーラーメカニック氏に相談してみてね、とも言われていたのだった。  

何度見てもショッキングなこの画像

先日の12ヶ月点検でこの件をプジョー仙台のU氏に相談してみたところ、結論としてはやはり先の診断と同じで、今すぐサビが進行するようなものではないというものだった。むしろ修理するとなるとやっかいな場所らしい。と言うのはちょうど傷を負った部分の内側には側面衝突に備えた補強棒が通っているからだ。ふたつの凹みが生まれている理由もこの補強棒で、傷を負った箇所を指で押してみると、確かに傷を分断する場所に明らかに「内側に何かある感」がある。

この傷を修理するならデントリペアを試してみたいと思っていたのだが、こういう箇所はデントでも難しい可能性があるという。手法を考えれば確かにその通りである。詳しくはリンク先を見ていただきたいのだが、U氏によれば傷の大きさと場所によっては費用は数万円になることもあるらしく、中々に選択が難しい。 

しかし以上のことから推測するに、当てた人間はよほど強くぶつけたのだろう。人間不信になりそうである。
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■プン太郎■
筆者の愛車ABARTH PUNTO EVOのこと。
ブログ本文に「プントエヴォ」と
フルネームで書くと煩わしいので命名。

■R、K■
R=国道(Route **)
K=県道(Kendo **)
のこと

■S店長■
筆者のMiTo購入時の担当営業さん。
現在VOLVO仙台泉店の店長。
筆者のクルマ人生を変えた人。
一言で言えばカーガイ。

■K店長■
クライスラー・ジープ・ダッジ仙台の店長。
TCT版リリースを機に滑り込みで
MiTo1.4TSportを購入したカーガイ。
カーオーディオ地獄サバイバー。

■顧問■
筆者の友人太郎君のこと。
エンスージアストにしてドラマー。
いろんな意味で筆者の指南役にして
このブログの技術顧問(と勝手に思っている)

■朝練&夜活■
早朝に走りに行くのが朝練。
夜に走りに行くのが夜活(やかつ)。
夜の走行活動の略。
どちらもひとりであてもなく走る。
つまりひたすらクルマとの対話を楽しむ。

■EDO■
Eat and Drink Organizationの略。
親友2名と行うツーリング企画の名。
「移動に有料道路は使わない」
「同乗者無しでひとり1台」
「うまいものを食べ、飲む」が掟。
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