そろそろ日本の(というか都心の)道路を走り始めていると思われる
アストン・マーティン シグネット。1台173万円(トップグレードで)のトヨタ iQが150時間のカスタマイズを受けてアストン・マーティンの400万円越えグルマになるというマジック。生涯最後のクルマはアストン・マーティンがいいなぁと妄想を膨らませているアストン大好き筆者的には正直がっかりだ。だっていくらアストンとは言えボンネット開ければトヨタエンジンがちょこんと居るだけなのだから。
もっとも
モナコなんかじゃ売れているらしい。どんなに裕福な家庭でも小型車の需要というのはあるのだそうだ。子どもの学校送り迎えとか(笑)。実際欧州のどんどん厳しくなる環境規制に数字の上だけでも対応するための現実的な方策だということは理解できる。またレビューなど読むと実際アストンの名に恥じない仕事になっているらしい。内装だけじゃなくホイールどころかエンジンマウントも専用品が誂えられているとか。
実は冒頭の文章とは相反するが、それらのレビューを読んで「実はアリかもな!」と思ったことも事実である。筆者は(一時期ほどでは無いにしろ)エンジンよりもインテリアに興味がある人間なのだ。あれだけ豪華な内装にされたらそりゃそれなりに気持ちよい空間になっているだろう。本当にシグネットを購入する富裕層がそれで長距離ドライブに出かける可能性は皆無だろうから、実は商品としてバランスが取れているのかもしれない。つまり用途限定の小さいアストンとして「成立」していると見えるのだ。
この「有名ブランドの商品として成立している」というのは非常に高度な技だと思う。アストン恐るべし。と、ここまで思い至って反射的に思い出したのが
レクサスだ。一生懸命一流ブランドになるべく努力しているレクサスだが、だったらHS250hやCTシリーズなどなぜリリースするのだろう。
偏見であることを承知で書く。少なくとも筆者はレクサスと言えども「蓋を開ければトヨタ車でしょ」と思っている。もっともこれはやっかみ半分尊敬半分の気持ちである。筆者のトヨタに関するイメージはただただ「安くて壊れない以外にフィロソフィを持たない大企業」「壊れない」というもの。しかしそれだけ。筆者が無理なく買える範囲では「運転して楽しいクルマ」がラインナップされていないのであまり興味を持てない(86?86ねぇ…)。そのトヨタの上級ブランドとしてのレクサスが挑戦している分野は「高級車」という非常に曖昧かつ主観が支配する分野である。ロールスロイス、ベントレー、メルセデスなどなど、現物があるから納得できる分野であって、現物以外で表現することが難しい。
ということになれば、とにかくレクサスの現物たるクルマは、「高級品」だと多くの人が納得しなければならない。アストンはどうやらそれをやったわけだ、シグネットで。だが筆者が思う限り、レクサスはまだブランドイメージすら定着していない。
初代セルシオやそこそこ型落ちのクラウンにレクサスバッヂを後付けしている例を見かけることがある。我々のようなクルマ好きから見れば「気持ちはわかるよ、うん…」と失笑もできるが、それこそ10代の若者や30〜40代の女性がそれを見てもレクサスとわからないどころか何も感じないだろう。同じような例でフロントにスリーポインテッドスターを貼り付けてる2トントラックなんてのがある。これも仙台ではけっこうな確立で見てしまうのだが、以前当家の老母が「ベンツって、あんな小型トラックも作ってるのねぇ」と感心していた(笑)。ドイツ本国ではどうだかしらないが明らかにそれは国産車であり、もちろん母の誤解は解いておいたが、メルセデスベンツというブランドの底力を示すエピソードだとは思う。
誤解無きよう念のために書くが、筆者はレクサスが嫌いなわけでもないし、必要ないとも思っていない。むしろ
ISシリーズなどぜひ乗ってみたい、あわよくば所有してみたいとまで思っている。品質が高いことは間違いない。何しろあのトヨタが作っているのだから。レクサスは企業理念として「L-finesse 最先端であると同時に洗練された深みを併せ持つこと」を謳うが、「深み」は10年20年で培われるものではあるまい。だとしたらいたずらに車種バリエーションを増やして下位ブランドであるトヨタ ブレードと見間違うようなCセグハッチバックやコロナの豪華版みたいなセダンなど作ったりしている場合ではないと思うのだが。
さらにProject Kahnなるファクトリー(?)が
もはやどこのなんてクルマなんだか…